Site.M from 新所沢

"いい投資"探検日誌 from 新所沢の過去ログ#1(2003年7月〜2012年3月までの記事)

セキュリテ被災地応援ファンド説明会に行って来ました

20日に行われた「セキュリテ被災地応援ファンド説明会」に参加してきました。 会場は超満員で立ち見の方もでるくらい。 皆さんの被災地応援への関心の高さを感じました。 Twitter中継も最初はやっていたのですが、石渡商店さんの話を聞いててそれどころじゃないなと途中でやめました。 是非、Ustreamのアーカイブを見て欲しいと思います。
Video streaming by Ustream 気仙沼から4社の方が来られたのですが、皆さん本当にひどい状況から復興に向けて力強い宣言をなされていて、強いなと感じました。 完全にこっちのほうが元気をもらってます。 被災地へ寄付をすることも大事ですが、こうやって復興に向けて頑張る人が目の前にいる。 それに気づけたのだったら、応援しない手はないだろ!という気持ちを強くしました。

気仙沼を愛していて、誇りに思っていて、それでも人口流出が続いている状況になんとか歯止めをかけたい。 震災前以上の街にしてみせる!という人たちがここにいるんです。 大きなマイナスからの再スタートですが、ゼロ以上にする!という想いをサポートしたいんです。

まず成功例を。そして、気仙沼を前よりも魅力的な街にするお手伝いを僕にできる範囲でしたいと思います。

石渡商店の石渡専務の復興に向けた力強い話にはこちらが勇気をもらいました。 アンカーコーヒーさんは被災を除いても経営理念が素晴らしい会社でした。 小野寺専務も話慣れていて只者ではない印象。 丸光食品の熊谷専務からは実直な人柄となんとか地元に雇用を生み出したいという言葉が心に残りました。

NHKさんのおはよう日本でも丸光食品さんを取材されていて、自分もファンドと丸光食品さんへの応援メッセージなどで取材を受けました。 (来週の土曜日放送予定? 5/22(日)放送予定だそうです。) 他にもNHKさんではサキどり!とセキュリテラジオの田口さんから取材を受けました。

最後に話された斉吉商店の斉藤専務へはファンド出資者からのメッセージが手渡されて涙ぐむ場面も。 ファンドでいち早くお金が集まって具体的に動き始めている会社だからこその力のこもった話に涙流しながら聞いてました。

皆さんお話も上手で、やっぱり経営層ってのはそういうところも違うんだなと一介のサラリーマンとして恥ずかしい限りです。 既に出資は済ませているものの、事業者の方の話を聞いて自分のお金にも限界があるもののできる限り応援したい。(自分がお金持ちじゃないのが残念) そして、現地で工場再開などのイベントがある際には出来る限りかけつけて、一緒にお祝いしたいと思いました。

ちょっと前のブログ記事でも書きましたが、金融って本来こういう時にお金という経済の血液を流してあげるもの。 銀行がリスクとれないなら、善意のこもった個人からのお金を小口で集めるという仕組みは僕らにとっても本当にありがたいです。

江戸時代の治水事業とかも村の庄屋さんなんかが私財をなげうって堤防作ったり、用水路を作ったり「旦那さん」らしい事をしていたわけです。今の日本にそういう「旦那」がすっかり影をひそめてしまいましたが、そういう心意気はあるけどお金はないという「プチ旦那」さんなら実はたくさん眠っていそうです。 でも、自分のお金じゃできることないし・・・と思っていた人にとってこのファンドは想いを実現できるツールとして有効だと思います。 ぜひ、行動を!

石渡商店さん

昭和32年創業。ふかひれ加工技術は世界に誇れるものを持っていたと自負していたが、被災して工場も技術も失われたと一時は考えた。 この技術とブランドを守るためにいち早く復興していきたい。

最初に工場の状況を見たときは、工場の中ががれきだらけでどうしたらいいかわからなくなってしまった。 その晩に弟と話した結果、二人で頑張ればふかひれの技術は伝承できるだろうという結論に達した。どうせだめになるならとことんやろうと 父親(社長)は最初反対していたが、一晩話して応援してくれることになった。その時のことは一生忘れられない。

工場内の片付けを一ヶ月続けてようやく再開に向けて動けるようになった。ファンドという形を紹介いただいたが、最初は頭の中の時間が止まっていてなかなか考えられなかった。世界中から応援の声をいただいて、復興に向けてファンドを利用しつつ進んでいくことに。 私たちは山の方に土地を持っていたので工場を建設できるが、まだまだ他の会社は土地がなかったり制限地域になっていたりで大変な状況の会社も多い。

丸光食品さん

東京からお客さんが2名来ているときに地震が起こった。 外に出ると液状化しているのが見えたのでただ事ではないと従業員を家に帰した。 そして親を避難させ、自分も東京からのお客さんを連れて車で逃げたが渋滞にはまってしまった。 後ろから土煙が見えたので走って逃げた。

避難所についてお客さんにもう安全だから動かないようにと言って家族を探しに。 小学校に行って子供には会えた。 親に会えたのは3日後。中央公民館の3Fに避難していて自衛隊のヘリに救助された。 津波のとどいたところとそうでないところでは街の様子が一変している。

今回の津波で工場が無くなってしまった。 2月まで住んでいたアパートも津波の影響をモロに受けていた。引っ越すのが遅ければ・・・ 従業員や取引先から励まされ復興へ 一人では立ち上がれないくらい傷めつけられた。 東京に来て、素晴らしい街だと思ったが、被災地も同じ日本。 21世紀は素晴らしい未来になると思っていたのがこんな事になってしまった。 なんとか地元に雇用を生み出して定住させることが大事。

オノデラコーポレーションさん

アンカーコーヒーとフルセイルコーヒーという店舗を展開している。 アンカーコーヒーは気仙沼に根ざしてアンカーポイントになれるようにと、気仙沼市外に関しては帆船が満帆になって旅立つ姿から。

もともとドライブスルー専門のコーヒーショップとして2005年に創業した。 2008年には自家焙煎工場、自家製菓工場を建設。 コーヒーを通してライフスタイルを提供している。これは新人教育でも話していること。我々はコーヒーを売っているんじゃない。お客様にライフスタイルを提供しているんだと。常に世界最高品質を意識するように。

品質を伴わない成長は選ばない。お客様との関わり、現場と笑顔が中心。 復興に向けて目標を設定した。 多くの雇用を生むことを喜びとする。 仕事と私生活を一緒に考えている。従業員とも一緒に楽しいことを。共感できるパートナーとして。 強く、深く成長する。

気仙沼=アンカーコーヒー、アンカーコーヒー=気仙沼というイメージを持たれるように。 シアトルももともとはコーヒーとは関係ない街だったがスターバックス他の努力でコーヒーの街というイメージが出来上がった。

子供の頃にじいちゃんの家に行くと朝インスタントコーヒーを飲んで船で海にでていくのを見ていたので漁港=コーヒーというイメージを持っている。 2010年の経済規模に戻ればいいのか?ゼロに戻すのではなくプラスへ。それが本当の復興。

子供たちに恥ずかしくない行動を。 後世にとってよい先人でありたい。 人生にアンカーコーヒーが必要という人を増やしていきたい。 人とのつながりが求められている。後ろにまだまだいるので、まず我々が成功して一石を投じたい。

頑張るにも追い風があると我々も頑張れる。 ファンドには追い風になって船に力を。

斉吉商店さん

震災前に自社で販売していた200点の商品の90%は気仙沼産のものだった。 まぐろやさんま、かつおは日本一の水揚げで、定置網では色々な魚が季節ごとにとれるほか、養殖もあった。 マグロ船がふかも取ったり、ふかが揚がるとそれをふかひれに加工する工場があったり、かつおも生で買う人や冷凍する人、造船や油を売る人、氷を作る人、えさを売る人様々な人が気仙沼の海に関わっていた。

日本髄一の港が壊滅的な打撃を受けた。 被災後、どうしてもこの目で状況を見ないとと思い市場から10分程度の道のりを歩いた。 まだ二日後だったので時々寄せ波が来たりして、そのたびに高いところに避難したり、がれきの中を歩いたので4時間かかった。 その時、重油などのヘドロで地面は汚れているのに海はだいぶ綺麗になっていた。海ってすごいと思った。

また、街には燃えた船が散乱している中、沖から白い船が戻ってきたときに希望が宿った。 自分たちの自慢の魚を食べてもらえないのが残念。 仕事を再開してみるといろんな壁がある。 被災によってできなくなった事が多すぎる。

でも、ファンドの皆さんと復興を約束したと思えば頑張れる。 東京に出てきてみて、この状況に甘えていてはダメだと感じた。 東京には素晴らしい商品が集まっている。日本中や世界からも。 その中で気仙沼ブランドを再興するには、被災地という事で甘んじていてはいけない。

東北は震災前から人口流出が起きていてもともと大変な状況だった。 前に戻るだけではだめで、それ以上によくならないと。 9月にさんま船が水揚げをしたときに仕事ができていないと。それに向けて工場を再開させる。

【関連HP】  セキュリテ被災地応援ファンド